2023年12月 退院後の生活【子宮頸がん検査でひっかかる】

闘病記【退院後の生活】

ASC-US(アスカス)陽性

私が初めて子宮頸がん検査でASU-US(アスカス)陽性だと言われたのは、今年の5月、骨髄移植に向けて全身の検査をした時だ。

胃や大腸、肺などの検査とともに婦人科で子宮頸がんと性病の検査を受けた。

検査結果は医師がわざわざ病棟に来て教えてくれた。

性病は陰性だったが、子宮頸がんがひっかかった。

ASC-US(アスカス)というものだ。

アスカス、と聞いても何のことやらさっぱりわからない。医師は資料をもとに説明をしてくれた。ASC-USとは軽度病変疑いのことで、ガンではないけど完全に正常とも言えないグレーゾーンだそうだ。

その時は説明を聞いただけ。特にそれに対して精密検査はせず、半年後に再検査をしましょうということで終わった。

あの時は骨髄移植を控えていて他に目が向かなかったし、7月8月は体調不良だったため、しばらくは子宮頸がんのことを考えることもなかった。

ただ、外来受診の予約を11月下旬に入れていたので、その日が近づくにつれ、また陽性だったらどうなるんだ、ガンだったらどうしよう、という不安がよぎるようになった。

すでに白血病という血液のがんを経験している私。突然のがん告知にもまったく驚かず、むしろ病名がわかって安心し、たいして悲観的になることもなくここまで来た。

だが、違うのだ。今ここで子宮頸がんですと言われたら、落ち込む自信がある。なぜだろう。

私は検査を受ける前からインターネットでいろいろ調べた。

ASC-US陽性だった場合、どれくらいの確率でHPV陽性となるのか。HPV陽性だったらその次はどうなるのか。などなど。考えてもしょうがないことをあれやこれやと考えて思い悩んだ。

そして検査当日。この日は検査だけだ。結果は後日となる。

内科受診の日に合わせて予約を入れてもよかったのだが、それだと結構待たされる。早く結果を知りたかったので、最短で予約を入れた。

診察室に入り、結果をこの耳で聞くまでの10数秒間がとてつもなく長く感じた。

「今回もASC-US陽性でした。」

医師の口から発せられたその言葉に、落胆する自分、「やっぱりそうだよね」と半ばあきらめている自分、「でも大丈夫なんでしょ」と楽観主義を装う自分が順番にやってきては私の心を揺さぶった。表面上はもちろん冷静を装っていたが。

「HPV検査をしましょう。」

子宮頸がんの原因とされるヒトパピローマウイルスに感染しているか検査するのだ。

さっそく検査を受けこの日はこれで終わった。

HPV陰性

検査結果を聞きに行くまで1週間あった。長かった。なるべく考えないようにしようと無理やり頭の隅っこのほうに追いやるのだが、そんなうまい具合に忘れられるはずはない。

気づくとインターネットでいろいろ調べていた。ASC-US陽性の人の約8割はHPVも陽性だという情報も見てしまい、私はその8割のほうに入っているに違いないと思い込んだ。挙句にHPV陽性だった人が漢方を飲んで数か月後には陰性に転じたという薬局の記事にたどり着き、金計算までしていた。

HPVが陽性だとしてもガンというわけではない。でも、やはりショックは大きい。

私は結果を聞きに行く前から落ち込んでいた。

内科と違い婦人科はそれほど待たされない。受付を済ませて15分もすると番号が呼ばれた。

いっきに心拍数が上がる。

診察室のドアが幾分重いように感じたのはもちろん気のせいだろうが、死刑宣告を受けるような気持だったのだからしょうがない。

先生の横に腰かける。

モニターにはおそらく私の検査結果が映し出されているはずだ。私は一刻も早く知りたくて目を皿のようにして画面の中の文字を追った。

そうこうしているうちに、当然だが、医師の口から結果を聞かされた。

「HPV検査は陰性でした。」

完全に陽性だと思っていた私は、一瞬キョトンとし、その後一気に気が抜けた。

陰性!

白血病になっただけでも運が悪いのに、さらに難治性のフィラデルフィア染色体陽性タイプだった私。心底くじ運が悪いと思っていたのに、ここに来てツキが回ってきたのか?!骨髄移植をしてやっぱり生まれ変わったのだろうか。

とにかく胸をなでおろした。

次は1年後に検査をすることになった。今回のHPV検査が陰性でもまだ安心はできないということだ。最終的にASC-USが陰性にならないとダメだろう。

とはいえ、とりあえず窮地を脱した。

まだまだ白血病だって完治したわけではない。合併症や再発のリスクを抱えてしばらくは生活をしていかなければならない。心配事は一つで十分だ。

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