私の戦友の話
私の趣味はバイクだ。
ハーレーダビッドソンとニンジャというカワサキの250ccバイクを持っている。ソロツーリングがメインだった私がクラブに所属したのは2年ほど前だっただろうか。仲間と走るのも楽しいものだ。バイクがなかったら出会えなかった縁というものもたくさんある。
がんを告知され入院するまでの猶予は1日しかなかった。その1日でできることは限られていた。入院の準備をしただけだ。バイクをどうするかなどという余裕はなかった。
その時すぐに連絡を寄こしてくれた人がいる。Nさんだ。バイクのグループLINEから退会した私を心配してくれたのだ。私は、当分入院することやバイクに乗れないことを話した。するとNさんから、バイクを預かろうかと提案された。車もそうだが、乗らないとバッテリーが上がってしまうし、いくらシートをかけていてもガレージでなければ下から雨やほこりが入って錆びてしまう。定期的に洗車も必要だ。
そういうわけで私のバイクを2台ともNさんが面倒を見てくれることになった。本当にありがたいことだ。友人といっても最後に会ってから1年以上経っていたし、そもそもそんな長い付き合いではない。知り合って2年ほどだが、その間何回一緒に走っただろうか。その程度なのだ。
バイクというのは人との結びつきを必要以上に強めてくれる気がする。
それは実際に会ったことがない人についても同じだ。
私はバイクの写真をインスタに投稿していた。発信しているというより、自分の備忘録のようなものだ。それでもフォロワーは350人くらいいる。会ったこともない日本のどこか、もしくは世界のどこかにいるバイク乗りがほとんどだ。
そのうちの一人を私は勝手に戦友と呼んでいた。
50代前半の(おそらく)関東に住む男性。急にバイクに目覚め、免許を取り、1年のうちにバイクを3台買ったそうだ。その人のほうからフォローをしてくれた。そしてフォローバックした。とくにコメントのやり取りはない。
頻繁にインスタを更新し、顔も出しているオープンな人。私は彼の投稿を毎回楽しみに見ていた。
ある日、それは私ががんを告知され入院して間もないときだったと思うが、久しぶりにインスタを覗いたら、驚くべきことがわかった。その人もなんと入院していたのだ。記事の内容から、私は同じ白血病だと思った。
まったく同時期におそらく同じ病気で入院したその人のことを、私は勝手に戦友と呼ぶようになった。
といっても相変わらず投稿に対してコメントすることはなく、ただ一方的に私が彼の記事を読み、そうそう、今はそんな時期だよね、仮退院したんだ、うちの病院とはちょっと違うな、などと思うだけ。自分の中で完結させていた。
彼のほうが2週間ほど早く入院したようだが、骨髄移植を受けたのは私の方が2週間早かった。
その頃に彼は診断名を公開した。やはり、私と同じ「フィラデルフィア染色体陽性急性リンパ性白血病」だった。
まさに戦友だと思った。向こうは私のことなど何も知らないのだが、私は一緒に病気と闘っている気持ちでいた。
その戦友が、骨髄移植後からなんだか元気がなくなったようにみえた。投稿の頻度もかなり減り、退院しましたという知らせの後、パタッと投稿が途絶えてしまった。
私自身も体調が思わしくなったため、戦友ももしかしたらGVHDなどで苦しんでいるのかもしれないと考えるようになった。
久しぶりの投稿は彼が退院したと言ってから2か月くらい経った頃だった。やはり、再入院していたのだ。GVHDにやられていたようだ。その間の記憶がほとんどないという。目もぼんやりとしか見えず、音声入力しているようで、誤字脱字だらけなのが余計事の深刻さを物語っていた。
そのころ私は体調不良から脱し、食べられるようになっていたので、その戦友を心の中で励ます余裕があった。年齢もほとんど同じだ。大丈夫、絶対元気になりますよ、と。
その後もインスタを気にしていたが、なかなか投稿がない。1か月に1回程度だ。顔の写真を載せている時もあったが、かなり皮膚が黒ずんでいた。痛々しい。
そして去年の11月を最後に投稿がまたプツリと途絶えた。
でもきっと忘れたころに「退院しました」という報告があるだろうと思っていた。
戦友の死
それは突然やってきた。
年が変わり、私がペットを飼って浮かれていた時だ。
何気にインスタを開くと、久しぶりに戦友の投稿が上がっていた。
「ご報告」という書き出しで、父を応援してくれた方々へ、と続く。私は動揺した。これはまさか、と震える手で「続きを読む」をクリックした。
私の戦友は闘病の末、年明けに亡くなっていた。
娘さんが代わりに投稿してくださったようだ。
会ったこともない、ただバイクという共通の趣味でたまたま繋がった人。私はこの人を勝手に戦友と呼び、一緒に闘病している気持ちになっていた。戦友が元気になってまたバイクに乗れるようになったら一度コメントしてみようかな、などと思っていた。
その戦友が永眠したというのだ。
私はハンマーで後頭部を思いっきり殴られたくらいのショックを受けた。自然と涙が出た。なんというか、自分の分身がいなくなったような、とてつもない喪失感に襲われた。
私は初めて彼にコメントを書いた。もちろん彼がそれを読むことはない。でも書かずにはいられなかった。
「同じ時期にまったく同じ病気になりました。あなたの投稿に何度も勇気づけられました。ご冥福をお祈り申し上げます」と。
私は今こうして元気にしている。なのにあなたは合併症に苦しみ、そしてこの世を去った。この違いは何だろう。これも運命だろうか。
その後も私の心はぽっかりと穴が開いたままだ。
赤の他人なのに。不思議なものだ。
天国で大好きなバイクを乗り回していることを願っています。
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