市販の薬を塗ってみる
2月中旬、口内炎がピークに達した。まるでモグラたたきのように、できては消え、消えてはできるというのを繰り返し、あっという間に悪化した。
無数の口内炎が舌のあちらこちらに現れ、それらはいつの間にか一体化し、白く凸凹とした痛々しい姿に変わっていた。
頬の内側は口内炎を通り越して、ただれたような感じだ。熱いものはしみるので食べられない。硬い物は当たると痛いので、揚げ物などは怖くて食べられない。
唇も乾燥している。特に上唇は色が紫色に変色し、笑うと皮が引きつる。うまく笑うことができない。
そんな状態が1週間ほど続いたある日の晩、食事中ではないのにこれまで以上に口の中がズキンズキンと痛み出した。
もうだめだ。
なんとかせねば。
私はすぐに薬局に走り、口内炎の塗り薬を買った。
所詮市販の薬、これで治るなどと過度な期待はしていない。ただ、痛みが多少でも軽くなればという気持ちはあった。
家に帰りさっそく薬を塗った。ちゃんと塗れているのか、塗れてもすぐ取れてしまうのではないかという疑問はさておき、その日はたっぷりと軟膏を塗って寝た。
次の日。
ヒリヒリとした痛みが多少治まっていることに気づく。
軟膏が効いたのか、たまたまか。
そして数日後、明らかに良くなったと感じる。痛みは半減したと言ってよい。もちろんまだまだ口内炎はあるが、痛みが減ったことに間違いはない。
気持ちまで明るくなった。
倦怠感と関節痛が改善する
さて、口内炎がピーク時の半分くらいに治まってきたころ、他にも変化があった。
1月下旬ごろから感じていた倦怠感が気づけばなくなっていたのだ。
倦怠感といっても、以前のように動けない、立っていられないというほどではない。
何か行動をしようとすると心理的な抵抗が働くのだ。身体を動かすとだるくなるというのを学習したのだろう。その抵抗を振り払い、アクションを起こすには少なからず気合が必要となる。そんな感じの倦怠感だった。
それがなくなったのだ。何も考えず体を動かすことができるようになっていた。つまり、動いてもしんどくないのだ。夫に任せていた洗い物も進んでやるようになった。むしろリハビリのために私にやらせてくれと頼んだ。
もしかして長くて暗いトンネルの出口が見えてきたのか。
そしてもう一つの変化。
関節痛の改善。
朝一番の指のこわばりが最近ましになってきたように思う。まだ曲げにくいのだが、その程度が以前より軽い気がするのだ。痛くて曲げるのも躊躇していた右手の小指なんかも、ゆっくりと曲げていけば折りたためるようになっていた。
肘の曲げ伸ばしも幾分楽になっている。
ステロイドが完全に中止になって1か月半が経つ。もしや離脱症状が終焉を迎えているということか。やっと自分で副腎皮質ホルモンを作らねばと気づき、えっちらこっちらと作り始めたのかもしれない。
それなら倦怠感が改善されたのも納得がいく。
ステロイドを減量していく中で離脱症状として関節痛が現れた。倦怠感に関してはほとんどなかったが、完全に中止になったことで、どっとそれが出たのかもしれない。そして正常にホルモンが作られるようになってきたため、関節痛も倦怠感も軽減してきたのだ。
うん、この説は正しいに違いない。
同時に口内炎も良くなってきたのだが、それがステロイドと関係があるのかはわからない。いずれにしても、私は関節痛、倦怠感、口内炎という三重苦から一気に抜け出すことができそうだ。
症状が酷かった2月の中ごろは本当に気が滅入っていたのだろう。
友人に預けてあるハーレーダビッドソンを手放す決心をしたほどだ。医療費が思ったよりかかるという金銭的な問題もあるのだが、そもそも関節痛もひどいし、体調が不安定だったことのほうが要因としては大きい。バイクに乗るなんてもう二度と無理だ、と思い込んでいた。
私はその友人に頼んでバイクを売ってもらうことにした。その後買いたいという人が現れたのだが、資金繰りが思うようにいかずご破算となった。一応今も売りには出しているが、このまま順調に回復すれば、そう遠くない未来、またハーレーダビッドソンに乗れるのではないかと思い始めている。
逆にバイクに乗ることを目標にリハビリを頑張ってもよいかもしれない。
取引が中止になったのも、運命だとしたら。
この病気になって私は身の回りで起こるさまざまな事象を運命だと思うようになった。病気になったのも運命、夫と出会ったのも運命、バイクがあの時売れなかったのも運命。そう思っておくと気が楽なのだ。
運命には逆らえないのだから。
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