急に咳が出るようになる。
12月上旬。
水が溜まりパンパンに膨れ上がったお腹は凹んでいく気配がない。顔の右半分もむくんだままだ。鏡に映る自分を見て、「私、前はどんな顔をしていたっけ。」と疑問に思う。
そしてある日、体重が1日で5㎏も増え、60㎏の大台に乗った。体の中は水だらけだ。
それから数日後、急に咳が出るようになった。それはベッドから体を起こしたり、寝返りを打ったりした時に起こる。咳は30秒から長くても1分くらいで止まるのだが、身体を動かす度に必ずといってよいほど咳が出るのはさすがにおかしい。朝のバイタル測定で酸素飽和度が96%と低かったのも気になった。普段は99%だ。
看護師は急に咳をし出した私の様子を見ているし、これまでの酸素飽和度の値もパソコン上で確認できるはずだ。専門職としての観察力に期待したが、すぐに期待し過ぎた自分が悪かったと気づいた。
看護師を責めているわけではない。入院して少しずつ分かってきたことがある。高熱だとか、酸素飽和度が90%を切るだとか、数字上明らかに異常だと思えるような場合は別として、それ以外の体の不調は声に出して訴えないと伝わらないということだ。
顔や足がむくんでいても何も言われなかった。お腹が臨月みたいになっていてもだ。でも、よくよく考えてみたら、かぶっている布団を剥いでじっくり観察されたわけではないし、私もお腹を見せて訴えたわけでもない。私は看護師がその状況に気づいていると勝手に思っていたのだ。そして、ついに我慢できなくなり、看護師に足とお腹を見せ、先生が飛んできた、というわけだ。
バイタル測定を終え、看護師は立ち去った。すぐに言えば良かったのかもしれないが、この時はまだ自分の不調を伝える勇気がなかった。きっとそういう性格なのだろう。この病気になった時も我慢に我慢を重ね、もう動けない、というところでやっと病院へ行った。ついつい我慢してしまうのだ。弱音を吐きたくないのだろう。そういえば入院当初、先生から「あと少し病院に来るのが遅かったら、1か月、いや2週間で死んでいた。」と言われた。
肺に水が溜まっていた。
その日2回目のバイタル測定をしに看護師がやってきた。酸素飽和度は朝と同じ96%だった。看護師は何も言わない。当然だ。一般的に酸素飽和度96%というのは正常値だ。そして動かずに寝ていれば咳も出ない。それだけ見れば「問題なし」と思うだろう。
自分の体のことは自分が一番わかる。伝えなければいけない。私は意を決して看護師に言った。
「今日の朝から急に咳が出るようになりました。体を動かすと出るみたいで。」
たったこれだけのことを言うのに勇気がいるのも変な話だが、そういう性分なのだからしょうがない。普段は多少どこかに違和感があってもすぐに病院へ行こうとは思わない。昔、咳が1か月近く続いたことがあった。周囲から結核かもしれないからすぐ病院へ、と言われて渋々受診したら「マイコプラズマ肺炎」だった、なんてこともあったくらいだ。
ほどなくして先生がやってきた。胸のレントゲンを撮ることになった。
入院していると便利なことがある。何かあればすぐに他科受診や検査をオーダーしてもらえるのだ。そして順番が来たら病棟に連絡が入る。待ち時間もない。
すぐにレントゲンに呼ばれた。まだ長い距離を歩くことができない。看護助手に車いすを押してもらい、1階まで下りた。
検査はあっという間に終わった。そして長い廊下を通り、一般の人が乗るエレベーターとは違う別のエレベーターで帰る。すれ違う人たちは病院の職員が多い。皆きびきびとした足取りだ。
1か月前まで私もあちら側だったのにすっかり「病人」らしくなったものだ。私は福祉の仕事をずっとやってきた。これまで「助ける」側にしか立ったことがない。こうして「助けられる」側になって初めて助けられる側の気持ちを知ったように思う。
しばらくして先生が肺の画像をプリントアウトして持ってきた。結果が出たようだ。
「肺に水が溜まっています。」
でしょうね、と心の中で思った。両肺の下の方に白い影が映っていた。そこに水が溜まっているのだ。
そして、入院以来ずっとやっていた点滴が中止となり、利尿剤が開始された。利尿剤を使うようになり、1日の排尿量がいっきに増えた。3リットル以上出ている。
これで体に溜まった水は抜けていくはずだ。
点滴が中止となったことで、どこへ行くにも一緒だった点滴スタンドから解放され、生活の質が格段に上がった。繋がれていない自由。心が軽くなり気持ちも前向きになった。
そして私は少しずつ回復していく。
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