一時退院が近づく。
12月後半に入ると、先生から一時退院に向けて具体的な話が出るようになった。もちろん、発熱したり、何かしら異常な数値が出れば退院はできない。あくまでこのまま順調にいけば、という前提での話だ。それでも期待してしまう。
入院した当初は数か月は退院できないものと踏んでいた。4か月程度は入院しないといけない、と書いてあったインターネットの情報を鵜呑みにしていたのだ。もちろん、白血病の種類や治療経過、医師や病院に寄っては数か月退院できないこともあるだろう。自分にとって正しい情報は何か。当然考えてもわからない。知りたいことは主治医に確認するのが一番の近道だ。
私の一時退院の条件は、
☑ 食べられること
☑ 自宅で動けるだけの体力があること
☑ 血液の数値が安定すること
それほどハードルは高くない。食べる量も増えてきたし、リハビリも順調だった。体力は十分とは言えないが自宅で生活する分には問題なさそうだ。入院してすぐに飲み始めたステロイド剤(プレドニン)は段階的に減量され、血液の数値も安定してきた。入院当初続いていた発熱も治まり、バイタルサインはこのところ正常範囲内だ。
ついに退院日が決まる。
12月24日、クリスマスイブの日。この日も朝一番で主治医が血液検査のデータを持って病室に顔を出してくれた。私が入院している血液内科の病棟はその病気の性質からか、土日も先生達が交代で出勤している。そして毎朝、毎晩病室に来てくれるのだ。時間外でもすぐに連絡がつく体制を取っているようで、夜間でも安心。看護師さんに聞くと、他の病棟ではあり得ないことらしい。他の病院のことはわからないが、この病院で良かったと思っている。
血液検査の結果は問題なかった。そして「退院日ですが・・・」と続く。「ついに来たか!」私ははやる気持ちを抑えながら耳を傾けた。「週明けのデータで問題なければいつでもいいですよ。」
来た~~~!
大声を上げて喜びたかった。すぐにでも、1分でも1秒でも早く帰りたい!
「迎えのことがあるので、それを確認して決めます。」
あくまで冷静を装い、淡々と答えた。あからさまに喜ぶのが恥ずかしいというのもあるが、年末年始を病院で過ごすかもしれない他の患者に申し訳ないという気持ちがあったからだ。
すぐに母親に連絡した。週明けの血液検査を待たなければいけないとなると、一番早くて次の日、火曜日だ。母親もちょうど迎えに行けるということで退院は27日午前中に決定した。心が躍る。仕事中の彼氏さんにも連絡した。私以上に喜んでくれた。
退院日が決まるとさらに食欲が増してきた。次の入院は年明けに外来受診をしてから決めるという。2週間程度は退院できそうだ。その間に何を食べたいか、どこに行きたいか…私は毎日の予定を考えた。食べられるのか不明だったが、焼肉屋も予約した。
退院日が決まってから退院までの3日間がとてつもなく長く感じられた。何事もなければ確実に退院できる。それなのに実感がない。退院している自分の姿が想像できないのだ。「本当に退院するんだろうか。」と。その感覚は実際退院して病院の外に出るまで続くのだろうな、と思った。
恐怖の骨髄検査をもう一度
退院までにもうひとつ、やらなければならないことがある。「マルク」だ。入院初日、この世のものとは思えない激痛を私に与えた骨髄検査だ。もう2度とごめんだ、と思っていたが避けては通れないようだ。血液検査ではわからないがん細胞の有無を確認することができる。今後も定期的にやらないといけない。退院前にやることが多いようだ。まさに「飴と鞭」だな。
そのマルクは26日の月曜日、つまり退院日前日に行われた。医師によると、前回は白血球が異常に増殖していたためかなりの痛みを伴ったが、今回は数値も安定しているから大丈夫とのこと。それでもあの時の痛み、恐怖がよみがえり、冷汗が止まらない。
麻酔が終わり、針が入れられた。「引きますよ、いいですか。」
嫌だと言ってもどうせ抜かれるのだ。
「いっちゃってください。」
とは言ったものの、怖すぎる。全身に力が入る。無理無理無理・・・私は歯を食いしばった。
「いきますよ、イチ、二のサン!!」
その掛け声が余計に恐怖心をあおった。
あれ?
肩透かしを食らったように何も感じない。うつぶせの私には状況がわからない。先生の掛け声とともに骨髄液が抜かれているはずなのだが、全く痛みを感じない。
「先生、全く痛くないです。」
「そうですか。それは良かったです。」
そんな会話をしているうちにマルクは終わった。私は胸をなでおろした。
あとは退院を待つだけだ。
あと一日。感無量。
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