不安いっぱいの放射線
午前中に放射線科の受診があった。
骨髄移植を受ける前に前処置というものをする。ひとつは大量の抗がん剤投与で、もうひとつは全身への放射線照射だ。今日はその放射線照射に向けて医師から説明を受けたり、照射のための準備をする。
診察室に入るとすぐに説明が始まった。
放射線照射は1回約45分で、1日2回行うとのこと。これを3日間続ける。放射線量はあらかじめ主治医からオーダーされており、12Gy(グレイ)だそうだ。と言われてもそれがどんな量なのか、多いのか少ないのか、全くわからない。聞いたところで何か変わるわけでもなし。私はただうなずいた。
説明が続く。
この放射線照射は免疫機能をゼロにすることが目的であり、治療効果を期待するものではない。がんというと放射線治療をイメージするが、今回の照射とそれがどう違うのかは素人には理解しがたい。
「先生、痛いんでしょうか。」
勝手なイメージがあった。身体に放射線が当たるとジリジリと痛いのではないかと。
「痛みはないですよ。というか何も感じないと思います。」
ほっとした。
私は45分間、寝ているだけだという。
次の不安は副作用だ。
主な副作用は倦怠感、嘔気、顎から首にかけての熱感そして脱毛だと言われた。
脱毛か。以前、主治医から骨髄移植の時は間違いなく脱毛しますと言われたのを思い出した。さすがに今回は抜けるだろう。
副作用は放射線照射を始めて2日目から出ることが多いそうだ。けっこうすぐに来るんだな、という印象だった。ただ、3日間とも普通に歩いて放射線科に来られる人もいるようで、個人差があるという。看護師から、20代など若い人のほうが副作用がひどい印象があると聞き、もうすぐ50代を迎える私は少し安心した。
顎から首にかけての熱感というのはあまりイメージができなかった。病棟看護師から、放射線照射の時に両あごに冷えピタを貼っていくように言われている。それの予防ということだろう。
「あ、だから、冷えピタを貼るんですね。」
合点したような表情で私が言うと、
「冷えピタを貼れば予防できるというものでもなく、あくまで気持ちの問題ですね。」
医師にあっさり否定された。気持ちの問題か。だったら貼らなくてもいいのに。
放射線照射が終われば1週間程度で副作用もなくなっていくと言われたが、果たしてそれが私にも当てはまるだろうか。とりあえず、副作用が軽いといい。
医師からの説明が終わると、隣の部屋に案内された。そこはまさに放射線を照射する部屋だった。空気がひんやりしている。私はブルッと身震いをした。
中央に大きな機械が鎮座していた。おそらくそこから放射線が飛んでくるのだろう。
寝台に横になるように言われた。これが鉄板並みに硬い。痩せてお尻のお肉がそげ落ちたせいか、仰向けに寝ていると尾てい骨が痛くなる。
職員たちは身体のサイズを入念に測定し始めた。なまりの板をこしらえるためだ。放射線が肺に当たると肺炎になる可能性がある。それを防止するため私の身体のラインに合わせたなまりの板を置き、照射量を調整するのだ。
お腹のサイズも測定する。こちらは下痢になりやすいという理由で同様になまりの板を作る。
ちなみに、この板、手で切って作るそうだ。なんとも原始的な方法だ。
淡々と作業は進んだ。
後は本番を待つだけだ。
骨髄移植の説明を受ける
午後から両親と彼氏さんが病院に来た。医師から骨髄移植についての説明を受けるためだ。これまでも何度か説明を受けたが、思い起こせばそれほど詳しくなかった気がする。今回は家族も呼ばれたということで、多少緊張しながらその場に臨んだ。
席に着くと主治医から資料を渡された。
「○○さんに対する非血縁者間骨髄移植に関する治療内容の説明と同意文書」
なんとも仰々しい題目が目に入ってきた。
いよいよか。深呼吸をした。
医師の説明を聞きながら活字を追う。
【現在の状態は良好で、寛解状態ではあるが、このまま化学療法を行っていても治癒することは困難で、生命予後は限られている。】
抗がん剤はよく効いている。だがそれは今あるがん細胞をやっつけるだけで、永続的に利くものではないそうだ。
いきなり厳しいことが書いてある。これは最初の入院時点で言われており、当初から移植をすることに同意していた。それでも改めて言われるとショッキングな現実だ。
【移植の成功率(長期の生存が得られる確率)は50~60%程度】
これもなかなか厳しい現実だ。変に期待させてはいけないということで、多少厳しめに書いているとのことだが、助からない可能性はそれなりの確率であるということだ。
その後も前処置に身体が耐えられず死亡すること、ドナーさんの白血球が増えてこないこと(拒絶や生着不全)、生着前に感染症でやられてしまうこと、などなど、さまざまなリスクがあるということを聞かされた。
なるべくネットの情報に触れないようにしていた私は、大丈夫だろうと軽く考えていた。
無事移植を受けられるかどうかも怪しいとは思ってもみなかった。
そして移植を受け、無事生着したとしても油断はできない。
急性GVHD、TMA、感染症、再発といった第二段階に入るという。GVHDはドナー由来の細胞が私の身体を異物と認識して攻撃するものだ。これらの問題が発生するとせっかく移植をしても苦しい状態がずっと続き、最終的に死に至ることがある。
死か・・・
生きるために移植をするのに、それにより死ぬことがあるとは皮肉なものだ。
最初のころ医師が「ハイリスクハイリターンです」と言っていたのを思い出した。まさにその通りだ。だからといってやめるわけにはいかない。移植をしなければ死は確実に私のもとにやってくる。
第二段階は移植後100日程度らしい。そして、その後は第三段階に入るが、まだまだ気を抜くことはできない。今度は慢性GVHDのリスクが待ち構えているのだ。
こうやって聞いていると気持ちが沈んでくる。自分が険しい表情をしているのがわかる。
医師の説明が終わり、何か質問はないかと聞かれた。
そう言われても何を聞いていいのかすぐには思いつかなかった。
私より先に彼氏さんが質問をした。移植後、どれくらいで退院できるのかというものだった。
2、3か月という答えだった。
長い。
私は移植後の治療について聞いた。これまで4クール化学治療を受けた。移植後に5クール目があるのか気になっていたのだ。
「移植をするので5クール目はやりません。退院後は通院になります。」
やった!!!
心の中でガッツポーズ。
沈んでいた気持ちが一気に明るくなった。
この半年、入退院を繰り返してきた。入院していた期間のほうが長い。退院できてもまたすぐに入院しなければいけないというのはストレスだった。
これが最後の入院。
頑張れる気がしてきた。
両親からの質問はなく、私は同意書にサインをしてお開きとなった。
なんだか長い1日だった。
放射線照射に向けての準備と移植に関する説明。昨日よりもぐっと現実味を帯びてきた。期待と不安が交錯する。
その夜、母親から写真が送られてきた。日めくりカレンダーだ。そこには今の私に向けてピッタリなメッセージが書かれていた。
不安を吐露しない私を気遣い、カレンダーという間接的な方法で励ましてくれたのだろう。
いつもありがとう。
感謝の言葉を送った。
コメント