1年前の今頃、私は地固め療法の3クール目が終わり、ちょうど仮退院中だった。
桜は満開。
体調も良かったため、お花見に行ったのを昨日のことのように鮮明に覚えている。
あの時はその日一日生きることに精一杯だった。当然、1年先の自分がどうなっているのか想像もできず、これが最後の桜になるかもしれないと、まるで悲劇のヒロインにでもなったかのように感傷的になっていた。
それは2か月後に予定していた骨髄移植のことが頭から離れなかったからだろう。助かるために受ける移植。でもリスクは高い。医師からハイリスクハイリターンだと説明を受けていた。1年後、生きているかもしれないが元気ではないかもしれない。いや、場合によってはもうあっちの世界に旅立っているかもしれない。そんなふうに思っていた。
だから、仮退院と満開の時期が重なったときは結構嬉しくて、気持ちが浮ついていた。でも、実際に満開の桜を見た時は、すぐに散ってしまうというそのはかなさと、自分が置かれている状況とが交錯して、針の先でツンツンと胸を刺されているような、なんともいえない複雑な気持ちになり胸が苦しくなった。
そしてあれから1年が経った。
まるっきり順調にここまで来たとは言えないが、現在は筋トレができるまで回復している。当たり前だが生きている。
というわけで、今年も去年と同じ場所へお花見に行くことにした。
去年と違うのは、今回はわんこと一緒だということだ。
3人(正確には2人と1匹)で車に乗り込みお花見スポットへ行く。
ちょうど桜祭りというものが開催されていたこともあり、広い公園は人でごった返していた。出店もたくさんあり、活気にあふれている。芝生には幾張りものテントが並び、持参したお弁当を広げ、みな思い思いに桜を楽しんでいる。
そうそう、去年もこんな感じだった。
公園の隣に川が流れており、その両岸が桜並木になっている。撮影スポットはどうやらローカル電車と桜が一緒に撮れる橋の上のようだ。お高そうなカメラを抱えた人が何人もいた。
犬を連れた人も結構いる。
みんな楽しそうだ。もちろん、私も満開の桜を楽しんだ。悲観的になることもなく。
今年も私は桜を見ることができた。
感慨深い。
そして気は早いが、来年も同じように3人で桜を見に来たいと心の隅っこのほうで期待した。
1年後の私。
どうなっているのかちょっと楽しみだ。
仕事はしているだろう。
ツーリングを楽しんでいるだろう。ハーレーダビッドソンは売ってしまったが、もう一台ある。
低山で登山を楽しんでいるだろう。
そこには日常があるだろう。
そんなふうに考えられるようになった。
そのたびに思う。ドナーさん、私に命をくれてありがとう。
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