移植当日の朝
いつも通りの時間に目が覚めた。
昨日と変わらない風景。
他の誰かにとって今日という日は特別でも何でもない。おそらく昨日と同じように1日が過ぎていく。
だが私にとっては今日は特別な日となる。
天井を眺めながらこの半年間を振り返った。
病気が発覚してから今日に至るまで決して平たんではなかった。退院している時に限ってどこかが痛くなり気分が滅入ることもあった。
それでも家族や彼氏さんの支え、同僚や友人の励ましのおかげでここまで来れた。
あと少しだ。
今日、私は骨髄移植という大きな山を越える。
給食は3食とも欠食にしてある。そうすると人の出入りが減り、個室のクリーンルームはより一層静寂に包まれ、外界から隔離されていることを否応なしに実感させられる。
そんな静けさを時折LINEの通知音が破る。
今日が移植日だということは親兄弟はもちろん、同僚や友人も知っている。みんな手術の無事を祈って励ましのメッセージを送ってくれる。
骨髄移植という言葉は知っていてもそれがどういうものなのかはわからないのだろう。メッセージの内容から察するに、ドナーの骨髄をよっこらしょ、と持ってきて、私の背中をパックリ切り開いて埋め込むような大手術だと思っているようだ。
「ありがとう、がんばるね。」
点滴と同じように寝ながら骨髄液を入れるだけなんだけどな、と苦笑しながらみんなに返信をした。
午前中、予期せぬ来訪があった。
3月まで私のリハビリを担当してくれていた理学療法士のKさんだ。新しく担当になった先生に、Kさんに移植日を伝えておいてくださいね、と言ったのは私だったがすっかり忘れていた。
それほど長い付き合いでもないし、Kさんにとって私は何人もいる患者のうちの1人。それなのにわざわざ時間を作って励ましに来てくれたのだ。これは嬉しい驚きだった。
担当の看護師も今日のためにシフトを調整してくれた。何度も顔を出してくれる。そしてついには骨髄液が現地を出発してこちらに向かっているというタイムリーな情報を持ってやってきた。
「2時くらいから移植になりそうですよ。」
あと少しだ。
刻一刻と近づく移植。無事骨髄液が届きますようにと祈りながら静かにその時を待った。
骨髄移植
病室内が慌ただしくなってきた。人の出入りも激しい。
そろそろだ。
血圧計が上腕に巻かれた。15分おきに自動で血圧を測るためだ。130台で安定している。
ぞくぞくと職員が入ってきた。主治医のほかにも医師が数名、看護師、移植コーディネーター、薬剤師。観客が多いこと。私はまるで舞台に立つ俳優のようだ。
骨髄液を入れる前にアレルギーを予防する薬が投与された。それは眠気を誘う。職員たちは雑談をしたり、時には冗談を言って笑ったりと賑やかだったが、私は半分夢の中。こちら側の世界からギャラリーという向こう側の世界を眺めているような感覚になった。
「では始めます。」
主治医が舵を切った。一瞬、静寂が取り戻された室内。みんなが固唾を飲んで見守る。
主治医は新米の医師や研修医に手技を説明しながら骨髄液の入ったパックと私を手際よくつないだ。これだけのことだ。あとは点滴のようにゆっくりと液を体内に入れていくだけだ。
14時27分開始。
開始後も職員の談笑は続いた。主治医も研修医相手にクイズを出している。もちろん医学的な内容だが。いささか不謹慎ではないかと思うくらい和気あいあいとした風景だった。
一方、意識がもうろうとしていた私はその輪には入れず、目を閉じて深呼吸を繰り返した。
今まさにドナーさんの骨髄液が体の中に取り込まれている。
血圧が異常に高くなる?!
30分もするとギャラリー一同は退室し、担当看護師と移植コーディネーターだけになった。
静寂が取り戻された室内では15分おきに動く血圧計の音だけが響きわたる。
しばらくすると血圧が180を越えた。
自覚症状は何もない。でも、180という数字を聞くと、頭の血管が切れやしないかと不安になる。
その15分後も同じだ。180台だった。
まれに移植中に血圧が上がることがあると聞いてはいたが、私は大丈夫だろうと勝手に思っていた。
結局、滴下速度を緩めて移植は継続されたが、その後も血圧が下がることはなかった。
速度を緩めると当然時間が余分にかかる。
当初2時間程度で終了するはずだった移植は日が暮れても終わらない。仰向けでずっと寝ているのも苦痛だった。横を向きたいところだが、腕に血圧計が巻かれているため、それも難しい。
少しずつ滴下する骨髄液を眺めながら、私はただひたすら移植が終わるのを待った。
そして
19時11分
1080ccの骨髄液が全て投与され、移植が完了した。
終わったー
すぐに家族に連絡を入れた。
血圧は依然として高いままだが、それ以外のバイタルは安定しており、身体に異変もない。
何か出てくるとしたら明日以降だな。
とにかく、私には20代男性の健康な骨髄液が移植された。フルマッチで血液型も同じだ。きっと大丈夫だ。
気疲れしたのだろう。
この日は消灯と同時に深い眠りに落ちた。
コメント