長かった入院生活が終わる
朝6時、眠い目をこすりながらカーテンを開けた。
快晴だった。
すでに太陽はジリジリと照り付け、道路を覗き込むと日傘をさして歩いている人が見える。
暑いんだろうな。
あと少しで私は真夏の暑さを感じながら、そこにいるんだ。
ついにここまで来たか。
やり遂げたという達成感、これで自由になれるという解放感、そして名残惜しい気持ちも混在し、なんだかソワソワと落ち着かない。
朝食を食べ、ソファでくつろいでいると、夜勤明けの看護師が2人、笑顔で病室に入ってきた。
「退院おめでとうございます。」
そう、今日退院する私にわざわざあいさつに来てくれたのだ。
名残惜しいと感じたのはこれだ。医師も看護師もリハビリの先生もみんな優しくて頼もしい。どれだけ励まされたことか。今後は通院になるため、病棟の職員とは今日でお別れ。それがちょっぴり寂しいのだ。
普通の別れなら「じゃあ、また。」などと社交辞令でも再会の可能性があることを言葉に含ませるのだが、ここではそれはご法度だ。「また」とは再入院を意味するからだ。
たわいもない会話をし、最後に「ありがとうございました。」とお礼を言いお開きとなった。
2人が辞去した後も看護助手やリハビリの先生などが代わる代わるやってきて、退院の喜びを分かち合ってくれた。
みんな優しいな。
病気になると精神面の健康も損なわれることもあるが、私はありがたいことにそういうことはほとんどなかった。安心して治療に専念できたのはここの職員のおかげだと思う。
退院の迎えは両親にお願いしてある。たまたま帰省している姉も来てくれるようだ。
どれだけ心配をかけただろうか。もしかしたら私より落ち込んだかもしれない。でもそんな素振りは一切見せず、普段通り接してくれた両親。恩返しは元気になって長生きすることだろうか。
10時を回った頃、病室のドアをノックする音が聞こえた。
お迎えだ。
職員とはノックの仕方もドアの開け方も違う。どこか遠慮がちなのだ。
案の定、カートを押しながら両親と姉が入ってきた。
まとめてある荷物をカートに乗せ、病室を後にした。すでに請求書も薬ももらっているのでこのまま帰ってもいいのだが、最後にあいさつをしようと思いナースステーションに立ち寄った。
「ありがとうございました。」
私よりも母親のほうが深々と頭を下げお礼を言っていた。
足取りはしっかりしている。
すがすがしい気持ちで病陳の玄関をくぐり抜け、向こう側の世界に足を踏み入れた。
屋根があるせいか思ったより暑くない。ただ空気は湿気を含み、ムシっとしている。
これがシャバだ。
駐車場に行く途中で叔母に会った。叔母は遠慮して病室に来なかったようだ。退院祝いを私に渡すと、「落ち着いたら遊びに来てね。」と言い残し帰っていった。それだけのためにわざわざ1時間車を走らせて来てくれたのだ。
みんなに支えられていたんだな、と改めて思った。
まだまだ回復途中
彼氏さん宅で降ろしてもらい、3人は帰っていった。
1か月半ぶりか。
鍵を開けて中に入ると、そこは、当然だが、入院前と何も変わらず、いつも通りの時間が流れていた。
感慨深い。
去年の11月、突然の入院を余儀なくされた。月日が流れ、今は7月だ。長い夏休みだったと思えばいい。人生の夏休みだ。
静まり返った部屋の中でこの8か月を振り返り、この闘病生活に意味を持たせようとしていた。
さて、お昼ご飯を食べよう。
帰る途中に寄ってもらったコンビニで買ったミニ冷やし中華が今日のお昼ご飯だ。まだまだ食は細い。ミニサイズでも完食するのに一苦労だ。
倦怠感もある。ずっと起きているとしんどい。
彼氏さんは19時ごろ帰ってくる。夕飯は作るとして、それまで横になって過ごすことにした。
退院したからといって完全に元気になったわけではない。食事も最低限の量を無理して食べているだけ。動くのも休憩が必要だ。徐々に慣らしていくしかない。
夕飯の準備もやはり大変だった。休み休み作らないとすぐに息が上がる。
退院したばかりだからしょうがない。大丈夫、大丈夫。
そう自分に言い聞かせた。
そうこうしているうちに彼氏さんが帰ってきた。
今回の入院は面会できたので、1週間に1回は顔を合わせていた。久しぶりという感じはない。でもやはり面会とは違う。それに今回は無期限の退院、つまりこれまでのように次の入院が決まっているわけではない。退院の喜びはこれまでとは比べ物にならないくらい大きい。
私の顔を見て安堵の表情を見せた彼氏さん。もう一人にしないでね、と冗談っぽく言ったが、それは本心だろう。彼は毎日私のいないアパートに帰り、1人でご飯を食べて、1人で寝ていたのだ。
もう一人にしないからね。
そう笑顔で返した。
そう、もう入院はしない。このまま元気になっていくのだから。
今日が終わり、明日になったら私は人生の再スタートを切るんだ。
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