2023年5月 骨髄移植【入院初日】

闘病記【骨髄移植】

骨髄移植のための入院が始まる

最初の入院から約半年。治療は順調に進み、まだまだ先だと思っていた骨髄移植の日が決まった。移植前には様々な検査を受けたり、前処置というものが必要になるため、2週間程度前に入院しないといけない。

骨髄移植のための入院はこれまでとは違う。入院期間は長くなるだろう。抗がん剤治療ではほとんど副作用はなかったが、骨髄移植ではそうはいかないだろう。果たして自分がどうなるのか、皆目見当がつかない。その時になってみないとわからないとはいえ、不安がないと言えばうそになる。それでも私は「骨髄移植という大きな山を乗り越えればきっと明るい未来が待っている。」と信じて入院初日を迎えた。

いつも通りの朝。

彼氏さんを笑顔で送り出し、入院の準備をした。手慣れたものだ。ものの15分で完了。そして父親の迎えを待った。

両親には感謝しきれないほど世話になっている。入退院時の送迎や差し入れなど気軽に頼めるのはやはり親兄弟だ。もちろん彼氏さんも洗濯をしてくれたり、毎日電話をしてくれたりとサポートしてくれるが、仕事をしているため両親に頼らないといけないことも多い。実家から病院まで片道1時間かからない距離なのも幸いし、足りないものがあるとすぐに来てくれる。つくづく実家の近くに住んでいてよかったと思う。

もし遠方に1人で住んでいたらどうなっていたことか。心細いだろうし、なにかと不自由だっただろう。まして家事もろくにできない状態でアパートに一時退院したら体調が悪化しそうだ。改めて自分の置かれている環境に感謝した。

父親は時間に厳しい。いつも10分前行動だ。この日もそうだった。重い荷物を持てない私の代わりに、高齢の父親が車まで運んでくれる。毎回申し訳ない気持ちになる。

車の中ではたわいのない話をした。重苦しい空気はまったくない。そもそもめったに感情を表に出さない父とあまり不安を口にしない私とでは暗い雰囲気になりようがない。骨髄移植の話もどこか事務的だった。

車が橋の上に差し掛かると白い大きな建物が目に入る。このあたりはほとんど高い建物がないため、否応なしに視界に入ってくる。

ああ、またあそこに行くのか。

道中で一番気分が滅入る瞬間だ。そしてそこから数分もすると病院に到着。そこからはルーティンだ。荷物をカートに載せると父親は帰っていく。1人が寂しいかというとそうでもない。

私は大きなカートを押しながら病院の中へ入っていった。

移植前は忙しい

外来受診が終わるといつも通り病棟へ案内された。

「またお願いします。後で病室行きますね。」

受付で担当看護師に会った。見慣れた風景にいつもの面々。病院が私の日常ではないかと錯覚する瞬間だ。

いったん二人部屋に入った。おそらくすぐに個室のクリーンルームに移動になるだろう。

あまり荷物を広げないほうがいいな。

クリーンルームとそうでない部屋の間ではテレビ台を移動させることができない。先を見越して最低限の物品をテレビ台に置いた。これも入院生活に慣れてしまった証拠だ。

部屋着に着替えて休んでいると、担当看護師がバイタル測定にやってきた。いつもは測定して終わりだが、今回は骨髄移植のための入院ということで、移植までのスケジュールが書かれたカレンダーを渡された。

移植までおよそ2週間。思った以上に予定が詰まっていた。なかなか忙しい。明日から早速検査の嵐だ。

骨髄移植を受けるんだという実感が湧いてきた。

ふと見ると、カレンダーの右上に看護師からのメッセージが。

「一緒に頑張りましょう!!」

頑張るのは好きではないが、短いながらもこの手書きのメッセージは私の心をかなり軽くしてくれた。

1人じゃないんだ。

嬉しくて涙が出そうになった。

いつも忙しそうにしている病棟ナース。看護師も人間だ。忙しいときにナースコールを押したら嫌な顔をするんだろうな。きっとキツい看護師もいるだろうな。入院するまではそんなふうに思っていた。訂正してお詫びしたい。どの看護師もいつも真剣に向き合ってくれる、そしてどんな時も本当に優しく対応してくれる。患者にとってこれはとてもありがたいことだ。

私は改めてこの病院で良かったと思いながら、渡されたカレンダーをテレビ台の良く見えるところに掲げた。

よし、頑張ろう!

カレンダー右上に「一緒にがんばりましょう!!」のメッセージが。

面会については、今日から1週間に限り許可された。その後は前処置が始まるため禁止だそうだ。やはりそうか。これまで面会禁止だったことを思えば、1週間でも面会できるのはありがたいと思わないといけない。

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